「ことば」のまほろば

すべてこの世はことばであるという立場で、哲学・数学・言語学・その他あらゆることに言及していきます。

東京オリンピック延期について

当然の結論だと思う。むしろ遅きに失したというべきかもしれない。政府が延期の検討を始めると発表したのは僅か数日前。しかも、決定に4週間かけると。それに対し、世界中から非難を浴びて、慌てて前倒しの決定。私は、遅くとも2ヶ月前には、水面下ででも検討に入っていなければならなかった。勿論、秘密裏に行うことだから、確かなことは言えないが、あの慌てぶりは、演技とは思えない。一ヶ月前の頃は、中止または延期は検討する気はさらさらないと言っていた。これは、自ら、「危機管理をするつもりはありません」と全世界に向かって宣言していると同等の行為だ。

本題に入ろう。一年延期ということは、中途半端な対応だと思う。私は政府の検討開始の発表後、複数のメディアからの情報を総合したところ、一・二年の延長はどれもうまくいかないと思う。このパンデミックは一年程度で収まる保証はないし、たとえ収まっても、練習の再開、予選のし直し、会場の確保、選手村の売却義務により宿泊施設がなくなる等々次から次へと問題点があることがわかった。2年後の場合、開催時期を再検討し、真夏を避けて、秋にすることを考えてみた。ところが、サッカーワールドカップカタール大会が11月にある。なら中止が最善か?先程妙案が浮かんだ。8年後の2028年に東京で行うのだ。もし、東京でオリンピックを行うことにこだわるのなら、それがいいと思う。なぜなら、まず、いろいろな事情が絡み合っていて、間近の予定を変更するのが殆ど困難だからということ。選手村の確保も8年あれぱなんとかなるだろう。これは、根拠のない希望的観測ではない。今回のパンデミックで、東京の人口が激減して空き家が大量にでることが予想される。なぜなら、たとえ死者が最小限に抑えられても、人口過密地帯の危険性が認識されて、逃げ出す人が続出すると予想されるからだ。最大の理由は、近年オリンピックにかかるコストのため立候補する都市がないからだ。その埋め合わせにちょうどいい。

選手に一番の負担をかけることになるが、背に腹は変えられない。メジャースポーツならば世界中の注目を浴びる大会があるので、マイナースポーツだけの縮小した大会も本大会の他に2022年ころにやるのもよい。勿論東京で。

いずれにしても、最優先すべきことは、人類滅亡を避けること。その上での文化活動だ。人びとが記憶に留めている限り、文化は再び実体化する。